<7> 発音について
読解力がついてきたら、英作にも多く取り組んで、今度は文章を作れるようにすることです。文章が作れるようになれば、英作は手で表現する行為ですが、頭で作った文章を口から出しさえすれば話すことになります。 発音は発音記号で習った通りです。
発音は良いにこした事はないのですが、伝わりさえすれば、必要以上にコンプレックスを感じる
ことはないと思います。 冒頭に触れた通り、英語は国際語となり、どこの国の人と話す場合でも、英語が使われることが多いと思います。英語を母国語としている人口より、母国語としていない人口の方が多いので、ネイティブ以外同士で、英語でコミュニケーションを図ることが多いはずです。
ネイティブでなないので、訛りがあるのは仕方なく、話の内容さえしっかりしていれば
何も恥じることはありません。ネイティブと話す場合でもそれは同じだと思います。
むしろネイティブの方と話すときは、外国語(この場合は英語ですが)を話せるほどに
勉強してきたことを自慢に思っても良いくらいでなないでしょうか。
例えが適切かどうかわかりませんが、話の内容がソフトウェアで、話を伝える媒介の英語はハードウェアだとすると、ハードウェアの英語がいかに立派でも、話の内容のソフトウェアがお粗末だと
仕方がないのではないでしょうか。 逆にソフトウェアが立派だとハードウェアの英語に少々訛りがあろうとも気にすることはないでしょう。
「何時に起きて、何処そこへ行って、ご飯を食べて、何時に寝た」ということを、完璧な発音の英語でしゃべるより、訛りがあっても、自分の興味のある分野に関する意見を述べる方が、ずっと優れていると思います。
その様に考えると、自分の意見や、興味のある分野の知識を持っていることが大切で、
その為には、母国語である日本語をきちんと学ぶことが不可欠でしょう。
意見や知識を身につけるためには、情報を入手したり、咀嚼・分析する必要があります。
情報の入手手段は、文章を読む・人の話を聴くことで、情報の咀嚼・分析手段は考えること
ですが、いずれも母国語の日本語で行なわれるはずです。
文章を読んだり、人の話を聞いたり、情報の分析を行なって、自分の意見や知識を持っていれば
少々英語が下手でも、中身の濃いコミュニケーションは図ることができます。
<8> 会話中心の勉強法の「実」
今までは、コミュニケーションの道具としての英語に関する私見ですが、最終目的がコミュニケーションにあるとするなら、その媒介/道具として、英語をそれほど必要としないケースもあるのではないかと感じています。そうであるなら英語を学習する苦労からは少し開放されるのではないか、それが違った意味での「会話に重点を置いた勉強法」の一つではないかと考えることもあります。
コミュニケーションの道具/媒体が英語で、その英語の能力が未熟であれば、偉大な愛情を持った親等との会話以外、つまり赤の他人との会話は難しい。既述の様に「何時に起きて、・・・何時に寝た」という話しかできない人と、会話を楽しんでくれる他人は少ないでしょう。
そうであるなら、英語以外のものをコミュニケーションの道具/媒体の中心にできればいいわけです。
海外へ出て活躍されている日本人も多いのですが、特にスポーツ選手などは、コミュニケーションの媒体の中心は英語や現地の言葉ではないと、感じることがあります。
野球選手であれば、コミュニケーションの媒体は野球、サッカー選手ならサッカー、がコミュニケーションの道具として中心的役割を果たし、英語はそれに付随するだけで、片言でよい。
例えば米国のプロ野球で活躍している日本人とは、現地の選手も一緒に野球をしているだけで
楽しいし、プレーの仕方や考え方を学ぶこともできるし、つまり、その日本人選手が立派な英語を
話さなくとも、時間を共有できる。共有する時間が多いほど、その日本人選手も何らかの形で
無意識的かもしれないが、現地の選手などから結果的に英語を学ぶことになる。
最初は、キャッチボールという単語かもしれないし、スパイクや、バットや球種の
単語かもしれない。それが野球の技術や戦術や練習方法や体の手入れの仕方や、つまり
野球に関する様々な話に発展し、そこから人間的な関係が深まり、さらに共有する時間が増え、
また、結果的に英語を学んでいくことになる。いわば会話を重視した勉強方法と
言えなくもない。
もちろん、野球に限らず、サッカーの場合もあるし、水泳や他のスポーツ、スポーツでなくとも
文学や歴史や、ひょっとして趣味的なことで、車やファッションの知識、その他何でも人を惹き付ける何かがあれば、それを媒介として時間を共有し、そこから派生的に英語を学ぶことにつながる。
これが会話を重視した勉強法。
母国語を習う過程で、親などは無償の愛から、子と時間を共有し、その中で、子供は言葉を
学んでいきますが、外国語を学ぶのに、他人は何か得るものがないと、時間を共有してくれない。
言葉(この場合英語)でコミュニケーションを図れるほど、英語がしゃべれないのであれば、英語以外で、何か人をひきつけるものを持ち、それを媒体に、他人と時間を共有して、その中で英語を学んでいくということです。
趣味でも、考え方でも、志でも、特技でも、専門知識でも、何か魅力となるものを持ち、それを介して外国人と時間を共有し、その中で派生的に英語の習得につながっていくということが、会話を中心とした勉強法になるということです。つまり、人間対人間の関係の中で、コミュニケーションの
手段としての英語が身についていくということです。
終わり。
2010年8月21日土曜日
英語学習について(会話中心の勉強法の虚実)-続き
<6> 従来の勉強法と脳の鍛え方
では、この脳の力=文章や語句を理解する力はどうすれば向上するのか?
これは、「耳」や「口」に重きを置いた会話中心の勉強法ではなく、従来から行なわ
れてきた勉強法だと考えています。
その勉強法を具体的に見ていきたいと思います。
まず、単語力。
馴染みの深い単語が増えれば増えるほど、語句の一部が聞き取れない様な
場合でも、脳は正しくその語句を認識することができるので、なるべく多くの
単語に馴染み深くなることが大切です。 中学生レベルの単語で会話はでき
るという様な主張もありますが、小学生低学年の作文の内容のような会話、
例えば「何時に起きて、どこそこへ行って、ご飯を食べて、何時に寝た」という
様な会話ならできるかもしれませんが、その様な会話しかできない人とは誰
も友達になりたい思わないので、その様な主張に惑わされることはないと思
います。普段の会話を思い起こしてみて、その会話を英語に置き換えるのに、
中学英語で十分かどうかはすぐにわかると思います。
単語を学ぶときは、発音記号から正しい発音を学ぶこと、そして、単語はそ
の意味を覚えるだけではなく、使いこなせるようにすることが望ましい。
例えばnotion=「概念」と単語の意味だけ覚えるのではなく、
He has no notion of what I mean. という様に例文や語句の中で単語を学習
すると、使い方なども身につき、英語に触れる機会が増え、英語を理解する
脳を鍛えることにつながります。多くの辞書には各単語の意味と共に例文や、
使用語句例を記載してくれているので、それらを参考にすれば、自分で例文
を作る必要はありません。(電子辞書は普段使わないので例文が表示され
ているかどうかはわかりません。)
そして、このような例文や語句を音読したり、メモ用紙に書きつけてみたりす
ることです。そうすれば、目と頭だけを使って単語を学ぶのではなく、口や、
自分の音読を聞く耳や、メモ書きする手もつかいながら学ぶことになり、
より身につきやすくなります。
熟語についても、単語と同じで、例文や語句の中で学習するのが良いで
しょう。
次に個々の文法です。
文章を理解するには、その文の中で使われている文型や文法事項を理解
する必要があるので文法だといって嫌がらずに、地道に身につけていくこと
です。先にも触れましたが、文法は文の法則ですから、活用できれば、
英語学習の強い味方になります。
そして、読解力。
読解とは読んで文章を理解していくことですが、既述のように、目から入っ
てくる英語を理解するのは、脳であり、この脳はリスニングにおいても同様に
重要な役割を果たします。読解力をつけて、脳が文章を理解するスピード
を上げていけば、必然的にリスニング力も向上します。耳から入ってくる
英語を、入ってくるスピードで理解してくれますし耳が捉えそこなった単語
などを前後関係から推測して認識してくれるからです。
読解スピードを上げるのに大切なのは、英語を英語として理解することです。
つまり、英文を読みながら日本語に置き換えていかない、逐一和訳しない
ことです。英文の語順は主語を除いて日本文と逆になっているので、逐一和訳
していくと一つの文章を二回ずつ読むことになってしまいます。
(わかりにくい説明ですので、以下の例文参照)
例えば、He is playing baseball with his friends in the park..
「彼は公園で友達と一緒に野球をしています」。(He以外は英語と日本語は
語順が逆)。
これを和訳を念頭に読むと、まず英語の文章をHe is playingから文末まで
読み、そして和訳するのに今度は、文末から、「公園で」(in the park),
「友達と一緒に」(with his friends), 「野球を」(baseball), 「しています」
(is playing)と読んでしまいます。
「和訳するときは後ろから」という風に学んだ人も多いと思います。
英語を最初から読み、今度は和訳の為に文末からもう一度読むという作業
です。これでは、読解スピードは期待できません。 英語を文頭から読み進
めながら、同時に且つ、和訳することなく、その意味を理解していくことが大
切です。
英語の文章を文頭から理解していくことを頭の隅におきながら、あとは多読
することが読解力向上に役立つ勉強法だと思います。
とにかくたくさん英語を読んで、投げ出したくなっても、最後まで読みきること、
苦しみながらでも、たくさん読むことが、読解力向上に役立ちます。
次回に続く。
では、この脳の力=文章や語句を理解する力はどうすれば向上するのか?
これは、「耳」や「口」に重きを置いた会話中心の勉強法ではなく、従来から行なわ
れてきた勉強法だと考えています。
その勉強法を具体的に見ていきたいと思います。
まず、単語力。
馴染みの深い単語が増えれば増えるほど、語句の一部が聞き取れない様な
場合でも、脳は正しくその語句を認識することができるので、なるべく多くの
単語に馴染み深くなることが大切です。 中学生レベルの単語で会話はでき
るという様な主張もありますが、小学生低学年の作文の内容のような会話、
例えば「何時に起きて、どこそこへ行って、ご飯を食べて、何時に寝た」という
様な会話ならできるかもしれませんが、その様な会話しかできない人とは誰
も友達になりたい思わないので、その様な主張に惑わされることはないと思
います。普段の会話を思い起こしてみて、その会話を英語に置き換えるのに、
中学英語で十分かどうかはすぐにわかると思います。
単語を学ぶときは、発音記号から正しい発音を学ぶこと、そして、単語はそ
の意味を覚えるだけではなく、使いこなせるようにすることが望ましい。
例えばnotion=「概念」と単語の意味だけ覚えるのではなく、
He has no notion of what I mean. という様に例文や語句の中で単語を学習
すると、使い方なども身につき、英語に触れる機会が増え、英語を理解する
脳を鍛えることにつながります。多くの辞書には各単語の意味と共に例文や、
使用語句例を記載してくれているので、それらを参考にすれば、自分で例文
を作る必要はありません。(電子辞書は普段使わないので例文が表示され
ているかどうかはわかりません。)
そして、このような例文や語句を音読したり、メモ用紙に書きつけてみたりす
ることです。そうすれば、目と頭だけを使って単語を学ぶのではなく、口や、
自分の音読を聞く耳や、メモ書きする手もつかいながら学ぶことになり、
より身につきやすくなります。
熟語についても、単語と同じで、例文や語句の中で学習するのが良いで
しょう。
次に個々の文法です。
文章を理解するには、その文の中で使われている文型や文法事項を理解
する必要があるので文法だといって嫌がらずに、地道に身につけていくこと
です。先にも触れましたが、文法は文の法則ですから、活用できれば、
英語学習の強い味方になります。
そして、読解力。
読解とは読んで文章を理解していくことですが、既述のように、目から入っ
てくる英語を理解するのは、脳であり、この脳はリスニングにおいても同様に
重要な役割を果たします。読解力をつけて、脳が文章を理解するスピード
を上げていけば、必然的にリスニング力も向上します。耳から入ってくる
英語を、入ってくるスピードで理解してくれますし耳が捉えそこなった単語
などを前後関係から推測して認識してくれるからです。
読解スピードを上げるのに大切なのは、英語を英語として理解することです。
つまり、英文を読みながら日本語に置き換えていかない、逐一和訳しない
ことです。英文の語順は主語を除いて日本文と逆になっているので、逐一和訳
していくと一つの文章を二回ずつ読むことになってしまいます。
(わかりにくい説明ですので、以下の例文参照)
例えば、He is playing baseball with his friends in the park..
「彼は公園で友達と一緒に野球をしています」。(He以外は英語と日本語は
語順が逆)。
これを和訳を念頭に読むと、まず英語の文章をHe is playingから文末まで
読み、そして和訳するのに今度は、文末から、「公園で」(in the park),
「友達と一緒に」(with his friends), 「野球を」(baseball), 「しています」
(is playing)と読んでしまいます。
「和訳するときは後ろから」という風に学んだ人も多いと思います。
英語を最初から読み、今度は和訳の為に文末からもう一度読むという作業
です。これでは、読解スピードは期待できません。 英語を文頭から読み進
めながら、同時に且つ、和訳することなく、その意味を理解していくことが大
切です。
英語の文章を文頭から理解していくことを頭の隅におきながら、あとは多読
することが読解力向上に役立つ勉強法だと思います。
とにかくたくさん英語を読んで、投げ出したくなっても、最後まで読みきること、
苦しみながらでも、たくさん読むことが、読解力向上に役立ちます。
次回に続く。
2010年8月19日木曜日
英語学習について(会話中心の勉強法の虚実)-続き
<5> リスニングと脳の機能
この様に書いてくると、「耳」の機能を無視していると誤解されるので、もう少し丁寧に「聴く」作業を分析したいと思います。
リスニング力は、英語の入り口である「耳」の能力+耳から入った文章を解析する脳
の能力によって決まります。
入り口となる「耳」が機能しないと、リスニングは成立ちませんので、当然英語の音を
捉えるだけの耳の力は必要です。ですから英単語の正しい発音を知ることは重要で
す。
私が中学校で英語を習い始めた頃、教科書には、新しい単語の横に発音記号が記載
されていました。ゆとり教育の影響か、いつの頃からか発音記号の記載はなくなり、
英語を習う生徒が、英単語の読み仮名をカタカナで振るのを、目にするようになりました。
当然のことながら、英語の発音はカタカナでは記載できないので、発音記号を習い、
正しい英単語の発音を学ぶことは非常に重要です。
正しい発音を知り、文章の中でどの様に個々の単語が発音されるかを知れば、耳の機
能(音を捕まえる機能)に必要以上にとらわれるのは得策ではありません。
あとは、その耳から入ってくる英単語や文章を、入ってくるスピードで消化する(理解する)
脳の機能を鍛えることが何よりも大切です。そして、この脳の機能は「読む」ことによって
も鍛えられるのです。
ご承知の様に、英語はアクセントの強弱が激しく、弱い音を聞き分けるのは、我々日本
人にはかなり困難なことです。しかし、リスニングにより文章を理解するのに、一言一句
すべてを聞き取る必要はありません。例えば I am a student. の「a」が聞き取れなくても、
文章は理解できます。
これは弱く発音される語の例ですが、例えば馴染みの薄い(又は知らない)単語の場合
でも同じです。
China weaves together a social safety net. という文章で、weavesが聞き取れなくても
文の概要は理解できる人が多いと思います。前後の脈絡から脳が補ってくれるからです。
先に触れたように、リスニング力は「耳」の力+「脳」の力であり、「耳」の力が不足していれ
ば、脳が補ってくれるのです。この脳の力は文章理解力であり、「読む」場合も、「聴く」
場合も、同じ脳の文章理解力が使われるので、ゆっくりしか読めない人はゆっくりした英文
しか聴くことはできませんし、速読できる人は、速い英文も聴くことができます。
そして、脳の力が増せば増すほど、耳の不十分なところをたくさん補ってくれます。スピ
ードにも対応できますし、聞き取れない語句を、前後の脈絡から補ってくれます。
もちろん、耳の機能が不足しすぎて、例えば文章の中の1/3の単語が聞き取れない様
な場合はお手上げなので、繰り返しになりますが、ある程度の耳の力は必要です。
文章でなく、個々の単語の音を捉える場合においても、脳にとって、その単語になじみ
が深ければ深いほど当然、耳は音を捉えられやすくなります。
英語は、文章の中のアクセントの強弱も激しいのですが、一つの単語の中でのアクセ
ントの強弱も激しく、例えばinteresting の最初のinはよく聞こえるが、途中のsは聞こえ
ないという様なケースは多いはずです。この様な場合、interestingは中学校で学ぶ様
な基本単語で、脳にとってもなじみが深いので、少々聞こえなくても、脳がこの単語を
認識できます。 しかし、馴染みの薄い単語の場合、聞き取れない部分があると、
脳の認識は難しくなります。
例えばintrigueという単語を完全に耳が聞き取ったとしても、この単語を知らなければ
脳は認識せず、「音」を聞き取っただけで、意味のある英語としては聞き取れないと
いうことになります。
intrigueのアクセントの弱い部分のinが聞き取れず、後半のtrigueだけ聞き取れたと
しても、この単語を良く知っていて、馴染み深ければ、脳はintrigueと認識します。
つまり、耳の聞き取りは不十分でも脳は認識し、意味のある英語としては、聞き取りすることができたことになります。
つまり、馴染みの深い単語を増やせば増やすほど、単語力をつければつけるほど、
脳の理解力を高める程、耳の足りない力を補ってくれ、ひいてはリスニング力の
アップにつながっていきます。
逆に、耳がいくら鍛えられ、音を正確に捉えることができても、その意味を理解する
脳が不十分ならそれは単なる音であって、意味を成す語句や文章にはならず、
リスニング力アップにはつながりません。
要するに、「聴く」力つまりリスニング力=「耳」の能力+「脳」の能力で、「耳」は音を
捉える機能を果たせば十分で、その不足するところは脳で補う。脳の果たす役割は、
耳の役割よりも重要であると言えます。
次回に続く
この様に書いてくると、「耳」の機能を無視していると誤解されるので、もう少し丁寧に「聴く」作業を分析したいと思います。
リスニング力は、英語の入り口である「耳」の能力+耳から入った文章を解析する脳
の能力によって決まります。
入り口となる「耳」が機能しないと、リスニングは成立ちませんので、当然英語の音を
捉えるだけの耳の力は必要です。ですから英単語の正しい発音を知ることは重要で
す。
私が中学校で英語を習い始めた頃、教科書には、新しい単語の横に発音記号が記載
されていました。ゆとり教育の影響か、いつの頃からか発音記号の記載はなくなり、
英語を習う生徒が、英単語の読み仮名をカタカナで振るのを、目にするようになりました。
当然のことながら、英語の発音はカタカナでは記載できないので、発音記号を習い、
正しい英単語の発音を学ぶことは非常に重要です。
正しい発音を知り、文章の中でどの様に個々の単語が発音されるかを知れば、耳の機
能(音を捕まえる機能)に必要以上にとらわれるのは得策ではありません。
あとは、その耳から入ってくる英単語や文章を、入ってくるスピードで消化する(理解する)
脳の機能を鍛えることが何よりも大切です。そして、この脳の機能は「読む」ことによって
も鍛えられるのです。
ご承知の様に、英語はアクセントの強弱が激しく、弱い音を聞き分けるのは、我々日本
人にはかなり困難なことです。しかし、リスニングにより文章を理解するのに、一言一句
すべてを聞き取る必要はありません。例えば I am a student. の「a」が聞き取れなくても、
文章は理解できます。
これは弱く発音される語の例ですが、例えば馴染みの薄い(又は知らない)単語の場合
でも同じです。
China weaves together a social safety net. という文章で、weavesが聞き取れなくても
文の概要は理解できる人が多いと思います。前後の脈絡から脳が補ってくれるからです。
先に触れたように、リスニング力は「耳」の力+「脳」の力であり、「耳」の力が不足していれ
ば、脳が補ってくれるのです。この脳の力は文章理解力であり、「読む」場合も、「聴く」
場合も、同じ脳の文章理解力が使われるので、ゆっくりしか読めない人はゆっくりした英文
しか聴くことはできませんし、速読できる人は、速い英文も聴くことができます。
そして、脳の力が増せば増すほど、耳の不十分なところをたくさん補ってくれます。スピ
ードにも対応できますし、聞き取れない語句を、前後の脈絡から補ってくれます。
もちろん、耳の機能が不足しすぎて、例えば文章の中の1/3の単語が聞き取れない様
な場合はお手上げなので、繰り返しになりますが、ある程度の耳の力は必要です。
文章でなく、個々の単語の音を捉える場合においても、脳にとって、その単語になじみ
が深ければ深いほど当然、耳は音を捉えられやすくなります。
英語は、文章の中のアクセントの強弱も激しいのですが、一つの単語の中でのアクセ
ントの強弱も激しく、例えばinteresting の最初のinはよく聞こえるが、途中のsは聞こえ
ないという様なケースは多いはずです。この様な場合、interestingは中学校で学ぶ様
な基本単語で、脳にとってもなじみが深いので、少々聞こえなくても、脳がこの単語を
認識できます。 しかし、馴染みの薄い単語の場合、聞き取れない部分があると、
脳の認識は難しくなります。
例えばintrigueという単語を完全に耳が聞き取ったとしても、この単語を知らなければ
脳は認識せず、「音」を聞き取っただけで、意味のある英語としては聞き取れないと
いうことになります。
intrigueのアクセントの弱い部分のinが聞き取れず、後半のtrigueだけ聞き取れたと
しても、この単語を良く知っていて、馴染み深ければ、脳はintrigueと認識します。
つまり、耳の聞き取りは不十分でも脳は認識し、意味のある英語としては、聞き取りすることができたことになります。
つまり、馴染みの深い単語を増やせば増やすほど、単語力をつければつけるほど、
脳の理解力を高める程、耳の足りない力を補ってくれ、ひいてはリスニング力の
アップにつながっていきます。
逆に、耳がいくら鍛えられ、音を正確に捉えることができても、その意味を理解する
脳が不十分ならそれは単なる音であって、意味を成す語句や文章にはならず、
リスニング力アップにはつながりません。
要するに、「聴く」力つまりリスニング力=「耳」の能力+「脳」の能力で、「耳」は音を
捉える機能を果たせば十分で、その不足するところは脳で補う。脳の果たす役割は、
耳の役割よりも重要であると言えます。
次回に続く
2010年8月17日火曜日
英語学習について(会話中心の勉強法の虚実)-続き
<3> 文法の効用
非常に限られた時間で勉強しなければならないので、必然的に効率良い方法が必要になります。
一つ有効な方法は、文法を味方に付ける、有効利用することだと思います。文法とは、文字通り、文の法則です。法則を知って勉強することは、知らないで勉強するより
有効であることは言うまでもありません。大切なことは、文法に振り回されるのではなく、文法を
味方につけることです。
例えが適切ではないかもしれませんが、数学の学習にあたって、法則である公式を知らないで
勉強することは、非効率でなないでしょうか。
be動詞+動詞のing形が進行形であるのは知っていることは、have+過去分詞が現在完了で
あることを知っていることは、間違いなく勉強の手助けになります。
既述のように、外国語の習得には、母国語の習得を助けてくれる親の様な24時間つきっきりの先生はいません。
必然的に一人で学習する時間が多いはずです。この時、指針となる一つが文法だと考えられます。
文法の学習にあたって、英語は日本語とは異なる言語で、文法も異なることを前提にしておく
ことも見落としやすい点でなないかと思います。そして、機を見て、どの点の文法が異なるかを
具体的に対比させることは有効だと思います。
例えば、文型ですが、英語の五つの文型はすべて主語+(助動詞)+動詞で始まります。
他方、日本語は、主語が先頭に来ることは多いのですが、(助)動詞は文末にくることが多い。
このような違いに気づくことは、学習の手助けになると思います。
又、比較的リズムの強弱が少ない日本語に対し、英語はアクセントの強弱が日本語より激しい
言葉で、この様な知識は、英語の発音やアクセント等の学習時に役に立つはずです。
<4> 「読む」、「聴く」、「書く」、「話す」
語学には、読む、書く、聴く、話す、の4つがあると言われます。
日本人は、前者の「読む」、「書く」は比較的できるが、後者の「聴く」、「話す」は苦手だとされ、
この点を克服するのがいわゆる会話中心の勉強法という考え方が多くなってきています。
この様な、会話中心勉強法推進派の考えに同意しかねます。
「読む」という行為は、英語を目から取り入れ、その情報を脳で理解していく作業です。
他方、「聞く」という行為は、英語を耳から取り入れ、その情報を脳で理解する作業です。
つまり、情報の入り口は異なるのですが、その情報を脳で処理するという点では同じです。
そして、「読む」スピードは自分の脳による理解力に合わせて調節できますが、
「聴く」スピードは話者に委ねられ、一般に、「読む」より断然速いのが普通です。
そのスピードの差によって、「聴く」時には、「読む」時よりもずっとスピーディーな、脳での理解力
が要求されます。お分かりの通り、「聴く」のは「読む」よりずっと難しいのです。
ですから、「読む」ことはできるが「聴く」ことはできない人がいても、なんら不思議はなく、その
原因は、多くの場合、勉強法にあるのではなく、話者のスピードについていくだけの脳の理解力
が不足している事にあるのです。脳の理解力を鍛える勉強量が十分ではないのです。
(もちろん、情報の入り口である耳をある程度鍛えることは不可欠です)。
同様に、「書く」という行為は頭で文章を組立て、それを手で表現する作業で、「話す」という
行為は頭で組立てた文章を口で表現する作業です。
表現する手段は異なりますが、頭で文章を組立てるのは同じで、聞き手が待ってくれないので
「話す」行為は「書く」よりスピードが要求され、従ってより難しい。
だから、「書く」ことができても「話す」ことが苦手な人は、単にそのスピードが足りない場合が
多い。(もちろん基本的な発音ができるというのは条件です)。
この様に考えると、「読む」と「聴く」は密接に関連しており、「書く」と「話す」も関連度が高い。
「聴く」ことは「読む」事と同じカテゴリーの作業であるが、その難度が高い。
「話す」ことは「書く」事と同じカテゴリーの作業であるが、その難度が高い。
同じカテゴリーにある作業なので、「聴く」為の勉強法が、「読む」為の勉強法とは全く別個に存在するとするのは錯覚ではないでしょうか?
情報の入り口が異なるというだけで、脳による文章理解力が求められるという点では同じなので、「読む」力をどんどん高めていけば、それにつれて脳の文章処理スピードは高まり、よって「聴く」力も向上していきます。つまり、速読ができるようになれば、リスニング力も高まっていきます。
「読む」為の勉強は、リスニング力向上にも役立つのです。
同様に、「書く」為の勉強は、スピーキング力向上にも役立ちます。
次回へ続く。
非常に限られた時間で勉強しなければならないので、必然的に効率良い方法が必要になります。
一つ有効な方法は、文法を味方に付ける、有効利用することだと思います。文法とは、文字通り、文の法則です。法則を知って勉強することは、知らないで勉強するより
有効であることは言うまでもありません。大切なことは、文法に振り回されるのではなく、文法を
味方につけることです。
例えが適切ではないかもしれませんが、数学の学習にあたって、法則である公式を知らないで
勉強することは、非効率でなないでしょうか。
be動詞+動詞のing形が進行形であるのは知っていることは、have+過去分詞が現在完了で
あることを知っていることは、間違いなく勉強の手助けになります。
既述のように、外国語の習得には、母国語の習得を助けてくれる親の様な24時間つきっきりの先生はいません。
必然的に一人で学習する時間が多いはずです。この時、指針となる一つが文法だと考えられます。
文法の学習にあたって、英語は日本語とは異なる言語で、文法も異なることを前提にしておく
ことも見落としやすい点でなないかと思います。そして、機を見て、どの点の文法が異なるかを
具体的に対比させることは有効だと思います。
例えば、文型ですが、英語の五つの文型はすべて主語+(助動詞)+動詞で始まります。
他方、日本語は、主語が先頭に来ることは多いのですが、(助)動詞は文末にくることが多い。
このような違いに気づくことは、学習の手助けになると思います。
又、比較的リズムの強弱が少ない日本語に対し、英語はアクセントの強弱が日本語より激しい
言葉で、この様な知識は、英語の発音やアクセント等の学習時に役に立つはずです。
<4> 「読む」、「聴く」、「書く」、「話す」
語学には、読む、書く、聴く、話す、の4つがあると言われます。
日本人は、前者の「読む」、「書く」は比較的できるが、後者の「聴く」、「話す」は苦手だとされ、
この点を克服するのがいわゆる会話中心の勉強法という考え方が多くなってきています。
この様な、会話中心勉強法推進派の考えに同意しかねます。
「読む」という行為は、英語を目から取り入れ、その情報を脳で理解していく作業です。
他方、「聞く」という行為は、英語を耳から取り入れ、その情報を脳で理解する作業です。
つまり、情報の入り口は異なるのですが、その情報を脳で処理するという点では同じです。
そして、「読む」スピードは自分の脳による理解力に合わせて調節できますが、
「聴く」スピードは話者に委ねられ、一般に、「読む」より断然速いのが普通です。
そのスピードの差によって、「聴く」時には、「読む」時よりもずっとスピーディーな、脳での理解力
が要求されます。お分かりの通り、「聴く」のは「読む」よりずっと難しいのです。
ですから、「読む」ことはできるが「聴く」ことはできない人がいても、なんら不思議はなく、その
原因は、多くの場合、勉強法にあるのではなく、話者のスピードについていくだけの脳の理解力
が不足している事にあるのです。脳の理解力を鍛える勉強量が十分ではないのです。
(もちろん、情報の入り口である耳をある程度鍛えることは不可欠です)。
同様に、「書く」という行為は頭で文章を組立て、それを手で表現する作業で、「話す」という
行為は頭で組立てた文章を口で表現する作業です。
表現する手段は異なりますが、頭で文章を組立てるのは同じで、聞き手が待ってくれないので
「話す」行為は「書く」よりスピードが要求され、従ってより難しい。
だから、「書く」ことができても「話す」ことが苦手な人は、単にそのスピードが足りない場合が
多い。(もちろん基本的な発音ができるというのは条件です)。
この様に考えると、「読む」と「聴く」は密接に関連しており、「書く」と「話す」も関連度が高い。
「聴く」ことは「読む」事と同じカテゴリーの作業であるが、その難度が高い。
「話す」ことは「書く」事と同じカテゴリーの作業であるが、その難度が高い。
同じカテゴリーにある作業なので、「聴く」為の勉強法が、「読む」為の勉強法とは全く別個に存在するとするのは錯覚ではないでしょうか?
情報の入り口が異なるというだけで、脳による文章理解力が求められるという点では同じなので、「読む」力をどんどん高めていけば、それにつれて脳の文章処理スピードは高まり、よって「聴く」力も向上していきます。つまり、速読ができるようになれば、リスニング力も高まっていきます。
「読む」為の勉強は、リスニング力向上にも役立つのです。
同様に、「書く」為の勉強は、スピーキング力向上にも役立ちます。
次回へ続く。
2010年8月16日月曜日
<1> 英語学習の心構え
ボーダーレスの時代を迎え、好むと好まざるとに拘わらず、英語が国際語の地位を確立している中、英語に対する関心は高まり、それにつれて、英語学習に関する本もたくさん著されています。
(この場合、コミュニケーションの道具としての英語に対する関心であり、英語を通して英語圏の文化や考え方を学ぶ姿勢等には発展しておらず、よって、ここに記す私見もコミュニケーション
の道具としての英語に関するものが主である点はご了承下さい。)
それらの本の多くは、いかに省力化して、英語学習を行なうかに力点が置かれている様に
見受けられます。
しかし、日本語と全く異なる外国語である英語の学習に、大きな努力は避けて通ることのできないものであり、簡単に英語を勉強することなど、極く限られた、飛びぬけた才能の持ち主以外には期待できないことではないかと、考えます。
もちろん、効率よく学習することは重要ですが、「効率よい学習=努力不要」ということではありません。
また、多くの人は、長年の英語学習にも拘わらず日本人が英語ベタなのは、その学習方法に問題があるのであり、会話に重点を置くなど、方法によっては簡単に英語をマスターできると触れ込みますが、この様な説も、本質を捉えているとは言いがたいと思います。いわゆる「会話中心」の英語学習方法も、英語学習者を努力の必要性から解放するものではありません。(理由は後述)。
英語が重要であることには疑念の余地は少ないですが、だからと言って、万人が万人、英語を必要とするということはなく、英語とは全く無縁に、豊かな生活を送られている方もたくさんおられると思います。
その様な中で、英語を勉強しようと思われる方々に、「簡単に英語をマスターしよう」との考えを
抱かないでほしいと感じています。その様な考えは、挫折を招きやすく、よって、途中で投げ出すことによって、投げ出す前までに費やした時間や労力、お金を無駄にすることになってしまいます。
英語学習には多大な努力が不可欠であるという前提で学習に望んでほしいと思います。
他方、その心積もりがもてない場合は、英語学習にかける労力や時間、お金を、当初から
他の事に振り向け、充実した生活を送って頂いた方が得策でなないかと考えます。
<2> 会話中心の勉強法の「虚」
「会話中心」の学習の対極にあるのが、文法を重視した勉強法です。
日本人は、文法など気にすることなく、日本語をマスターし、日本語でコミュニケーションを
図ります。(英語を母国語とする人は、文法など気にせず英語で会話します。)
これが、会話中心勉強法を推薦する方の因って立つ一つの論拠で、そもそも言語を習得するのに、文法に振り回されるのは間違いであると、主張されているのだと思います。
しかし、ここで、当たり前であるが、非常に重要な点が忘れ去られているように思えてなりません。
本語は我々の母国語であり、英語は外国語であるという点です。
母国語は、日本語であれ、英語であれ、極めて理想的な環境で習得されていきます。
我々は多くの場合、生まれたその瞬間から、親を筆頭に、周りの人間から、かわいがられ、声をかけられます。特に親は、四六時中、そばにいてくれ、「ママですよ」とか「パパですよ」とか、その他「お腹すいてない」とか、声をかけてくれます。暑ければ「暑いねー」、車を見れば「ブー、ブーだ」、花を見れば「きれいだね」・・・等など。 これが1年365日、毎日、毎日続きます。しかも大きな愛情を持って、声かけが行なわれ続けます。
親だけではなく周りの人が、例えば、看護婦さん、親戚、兄弟姉妹、お祖父さんお祖母さん、近所の方々、色んな方が、愛情を持って、話しかけ、会話してくれます。
もちろん、これは、勉強の為という意識を持って行なわれていることではないのですが、非常に優れた言語の授業になります。 教科書を見てではなく、実際にママと接して「ママ」という単語を覚え、実際の空腹を感じながら、「お腹すいた」という言葉を習い、現実の暑さの中で、「暑い」という言葉を習得していきます。
繰り返しになりますが、これが毎日毎日続き、しかも一日のうちでも、起きてる間中行なわれるのです。
これほど優れた言語の学習環境は他にはありません。
例えば、同じ環境で、英語を勉強できれば、母語である日本語と同様、文法など気にせず、英語を身に付けることができるでしょう。しかし、同じ環境を作ることは不可能です。たとえ、日本人がいない、世界の僻地に行っても、誰が親と同じ愛情を持って四六時中声をかけ続けてくれるでしょうか?
周りの人が、声をかけ続けてくれるでしょうか?
幼児期を過ぎても、例えば保育園で他の園児と日本語で会話をし、保母さんが日本語で世話を
してくれ、小学校へ上がれば、算数などの他の教科も日本語で学び、テレビや、ゲームもすべて
日本語。
このように、母国語の場合は、極めて理想的な環境で、身に付けることができます。
他方、外国語である英語の学習時間は数時間/日が精一杯でしょう。
学習環境が全く異なる中で、同じ方法で学ぶには無理があります。
残念ながら、外国語である英語は、非常に限られた時間で勉強するより他ないのです。
だから、母国語と同じ、ただ単に聞き流す方法や、文法を無視した学習方法は効果が
うすいと考えられます。
次回へ続く。
ボーダーレスの時代を迎え、好むと好まざるとに拘わらず、英語が国際語の地位を確立している中、英語に対する関心は高まり、それにつれて、英語学習に関する本もたくさん著されています。
(この場合、コミュニケーションの道具としての英語に対する関心であり、英語を通して英語圏の文化や考え方を学ぶ姿勢等には発展しておらず、よって、ここに記す私見もコミュニケーション
の道具としての英語に関するものが主である点はご了承下さい。)
それらの本の多くは、いかに省力化して、英語学習を行なうかに力点が置かれている様に
見受けられます。
しかし、日本語と全く異なる外国語である英語の学習に、大きな努力は避けて通ることのできないものであり、簡単に英語を勉強することなど、極く限られた、飛びぬけた才能の持ち主以外には期待できないことではないかと、考えます。
もちろん、効率よく学習することは重要ですが、「効率よい学習=努力不要」ということではありません。
また、多くの人は、長年の英語学習にも拘わらず日本人が英語ベタなのは、その学習方法に問題があるのであり、会話に重点を置くなど、方法によっては簡単に英語をマスターできると触れ込みますが、この様な説も、本質を捉えているとは言いがたいと思います。いわゆる「会話中心」の英語学習方法も、英語学習者を努力の必要性から解放するものではありません。(理由は後述)。
英語が重要であることには疑念の余地は少ないですが、だからと言って、万人が万人、英語を必要とするということはなく、英語とは全く無縁に、豊かな生活を送られている方もたくさんおられると思います。
その様な中で、英語を勉強しようと思われる方々に、「簡単に英語をマスターしよう」との考えを
抱かないでほしいと感じています。その様な考えは、挫折を招きやすく、よって、途中で投げ出すことによって、投げ出す前までに費やした時間や労力、お金を無駄にすることになってしまいます。
英語学習には多大な努力が不可欠であるという前提で学習に望んでほしいと思います。
他方、その心積もりがもてない場合は、英語学習にかける労力や時間、お金を、当初から
他の事に振り向け、充実した生活を送って頂いた方が得策でなないかと考えます。
<2> 会話中心の勉強法の「虚」
「会話中心」の学習の対極にあるのが、文法を重視した勉強法です。
日本人は、文法など気にすることなく、日本語をマスターし、日本語でコミュニケーションを
図ります。(英語を母国語とする人は、文法など気にせず英語で会話します。)
これが、会話中心勉強法を推薦する方の因って立つ一つの論拠で、そもそも言語を習得するのに、文法に振り回されるのは間違いであると、主張されているのだと思います。
しかし、ここで、当たり前であるが、非常に重要な点が忘れ去られているように思えてなりません。
本語は我々の母国語であり、英語は外国語であるという点です。
母国語は、日本語であれ、英語であれ、極めて理想的な環境で習得されていきます。
我々は多くの場合、生まれたその瞬間から、親を筆頭に、周りの人間から、かわいがられ、声をかけられます。特に親は、四六時中、そばにいてくれ、「ママですよ」とか「パパですよ」とか、その他「お腹すいてない」とか、声をかけてくれます。暑ければ「暑いねー」、車を見れば「ブー、ブーだ」、花を見れば「きれいだね」・・・等など。 これが1年365日、毎日、毎日続きます。しかも大きな愛情を持って、声かけが行なわれ続けます。
親だけではなく周りの人が、例えば、看護婦さん、親戚、兄弟姉妹、お祖父さんお祖母さん、近所の方々、色んな方が、愛情を持って、話しかけ、会話してくれます。
もちろん、これは、勉強の為という意識を持って行なわれていることではないのですが、非常に優れた言語の授業になります。 教科書を見てではなく、実際にママと接して「ママ」という単語を覚え、実際の空腹を感じながら、「お腹すいた」という言葉を習い、現実の暑さの中で、「暑い」という言葉を習得していきます。
繰り返しになりますが、これが毎日毎日続き、しかも一日のうちでも、起きてる間中行なわれるのです。
これほど優れた言語の学習環境は他にはありません。
例えば、同じ環境で、英語を勉強できれば、母語である日本語と同様、文法など気にせず、英語を身に付けることができるでしょう。しかし、同じ環境を作ることは不可能です。たとえ、日本人がいない、世界の僻地に行っても、誰が親と同じ愛情を持って四六時中声をかけ続けてくれるでしょうか?
周りの人が、声をかけ続けてくれるでしょうか?
幼児期を過ぎても、例えば保育園で他の園児と日本語で会話をし、保母さんが日本語で世話を
してくれ、小学校へ上がれば、算数などの他の教科も日本語で学び、テレビや、ゲームもすべて
日本語。
このように、母国語の場合は、極めて理想的な環境で、身に付けることができます。
他方、外国語である英語の学習時間は数時間/日が精一杯でしょう。
学習環境が全く異なる中で、同じ方法で学ぶには無理があります。
残念ながら、外国語である英語は、非常に限られた時間で勉強するより他ないのです。
だから、母国語と同じ、ただ単に聞き流す方法や、文法を無視した学習方法は効果が
うすいと考えられます。
次回へ続く。
登録:
投稿 (Atom)